御木徳近日知40年祭式典並びに偲ぶ会
令和5年1月21日(土)神戸市内ホテルにおいて全国各地より多くの方が御出席頂き、御木徳近日知40年祭式典が執り行われました。式典後 御木白日様より御木徳近日知を偲びご挨拶がございました。
令和5年2月3日の夢「御木白日」
- 夢の中で私は二代さまに「現在の教団はどうしようもなく、二代さまをないがしろにして、いろいろしている。本庁に会員以外の人を入れないなど、とんでもない」といろいろ不足を申し上げていました。すると二代さまは「お前はわしの祐祖である。お前は今の教団がどうのこうのといろいろ言っているが、白日、お前が教団なんだよ。PL教団はお前なんだよ」とおっしゃったのです。そこでハッと目がさめました。
- 今の教団は、立教者の二代さまに対する敬意を失い、信仰心を失った「歌を忘れたカナリア」なので、なんとかしなければーー、と常に思っていました。しかし、それは間違っていたと、二代さまに教えていただきました。
- 現在の教団は、PLの教えとは縁もゆかりもない人々に乗っ取られて、本来の二代さまのPL教団ではなくなっていることを、あらためて自覚しました。現在の教団は本来のPL教団ではないのです。
立教者御木徳近日知のPL教団が本来のものです。現在、徳近日知に対する敬意の念すら
い 無縁の人たちが乗っ取り、得手勝手をしていることは許されないことです。 二代さま
が悟られた〝人生は芸術である〟がPL教団の教えの根本の根本です。
- その教えが説かれていないのです。
- 「教会で教師の先生が教えを説いてくれない。教えを知りたい」という会員さんが「PL」御木徳近遺徳顕彰会に、ひもろぎ勉強会に参加されています。本来のPLの教えを求めている方々です。
私は二代さまからお聞きしている教えを会員さん方にお説きしています。
- 貴日止教主が亡くなられた直後の全教師会議の中で、「二代はいらない、そんな古い人はいらない」といって恥じない人々に教えがわかるはずもありません。
道をはずれたPL教団をどうしても二代さま本来のPL教団にしなければなりません。
- 野球部も含めてPL学園の復活も、立教者御木徳近日知本来のPL教団にかえったとき、はじめて、新しい出発がありうるのです。
本当のPLの教え
PLの教えの立教者、御木徳近教祖は初代さまの御遺言を守り、この羽曳野丘陵を聖地と定めました。
昭和28年より開拓をはじめ現在の御木徳近記念館の場所あたりに小さな家を建てられました。何年か後、建て替えて、教主邸とされたのが現在の御木徳近記念館です。
この場所から二代さまは日本をはじめ世界に向かって〝人生は芸術である〟の教えを命がけで多くの方々に布教なさり、昭和58年2月2日この場所でお亡くなりになりました。
この記念館には二代さまの誠が、息吹きが充満しています。この場所は本当のPLの教えにとって聖地の中の聖地で、最も大切な場所なのです。それが現在の御木徳近記念館です。
幽祖さまが初代さまに「私が亡くなった場所にひもろぎを植えて守っていきなさい」とおっしゃったことと同じです。
PLの教えの立教者御木徳近教祖がお亡くなりになったこの場所を守ることが、私たちにとって大切なことなのです。
貴日止教主が来られ「ここは誰が来てもいいところですね」とおっしゃいました。その時美智代夫人は「誰も来てはいけません」と貴日止教主の言葉を否定しました。夫人は「ここは駐車場にする」と言っていました。教えを知らない人の言葉とききました。
影身祖さまはお亡くなりになるまで「記念館を白日さん守ってね。私も守りますからね」とおっしゃっていました。私たちは影身祖様の御遺言と思って、守らせて頂いています。
この御木徳近記念館に付けられた監視カメラを昨年発見しましたので、すぐ警察に届けました。
PLの教えを忘れてしまった教団が、御木徳近記念館に出入りする人を監視していたことが分かりました。
「あなたは記念館に出入りしていますね」とか「記念館に出入りしている人は本庁に出入りさせません」とか、脅かすことを言われた会員さんが何人もおられて、私のところへ言って来られたりしています。
会員さんを脅かす人は、自分たちが本物のPLの教えでないことを認めているのです。教師の方々には「記念館に行ったら、免職にする」と言っています。「次のトップになる方が『PL処世訓などいらない』と言われれば、私はPL処世訓を捨てます」と全教師会議で発言する教師がいたりして、それに異議を唱える発言もありませんでした。
この記念館で勉強会をして、二代さまのお説きくださった本当のPLの教えを説かして頂いて来ていることを貴日止教主にもお話した時、「すばらしいですね、よろしくお願いします」と言われ、「教団でも勉強会をしなければ」と言っておられました。
二代さまは「日訓研究会を開くにあたっては、本当の教えが分かった人が先生としてその会のリーダーになるのでなければ、ただ集まって日訓研究会をしても何にもならない」とおっしゃったことを思い出しました。
勉強会といいましても本当の正しい教えを知っている人が先生になるのでなければ、それは出来ないことです。
私は二代さまから直接本当のPLの教えを教えて頂いてありがたかったと思います。
私は二代さまからしか教えを頂いていないので、まちがった教えは「おかしい」とすぐ感ずることができます。骨董屋さんは弟子を教育するとき、決してニセモノを見せず、ホンモノしか見せないそうです。そうしますと、ニセモノを見たとき、一瞬にしてニセモノと分かるとのことです。
つい最近「監視カメラを返してくれ」と、いまやPLの教えを忘れてしまった教団から言ってきました。本当のPLの教えを知らない人々のあわれさを思わずにはいられません。
夫人に言われて仕方なく使いをしている人たちはあわれです。「恥を知りなさい」と言わざるを得ません。
二代さまのお骨を粗末にし、汚すようなあり方を平気でするのは、祖霊を祀り、先祖の日を祀るPLの教えを知らない教団になっていることの証(あかし)です。
御木徳近記念館を守らせて頂いてから、二代さまからいろいろ教えて頂いています。
PLの教えでは、立教者である御木徳近教祖があくまでも中心であり、原点です。
〝一切は進歩発展する〟PL処世訓は神律です
一切は進歩発展するということは、原点があってこそ進歩発展していることが分かるのであって、原点なきところに進歩発展はないのです。
原点が無ければ基準がないので、発展か後退かがわかりません。
すべてのものに原点がある。基準(クライテリオン Criterion)といってもよいかもしれません。人は神に依って生かされて生きています。
〝人が生きるもとは水であり、そのもとは日である〟と初代さまが悟られたように、常に原点を見つめつつ進歩発展しなければならないのです。原点を無視しての進歩発展はあり得ないのです。
PLの教えにおいて、その原点は、この教えの立教者御木徳近教祖です。二代さまを無視してのPLの進歩発展はあり得ません。
常に二代教祖と共に一切は進歩発展していくのです。
原点と共にあることを忘れてはならないのです。
設立者あいさつ
御木白日
〝「PL」御木徳近遺徳顕彰会〟の設立
私たちにとって大切な、愛するPL教団からPLの教えが消えようとしています。悲しいことです。
「今のPL教団はどうなっているのでしょうか。〝みおしえ〟の願いは受け付けてもらえませんし、教会に行っても教えの話を聞くことができません……。」多くの会員さん(信者さんのことです)から聞こえてくる声です。
PL教団のこのような惨状をこれ以上放置できない、本来の正しいPL教団の姿、形に創り直していかなければならないと信念、信仰するひとたちが結んで立ち上げたのが、〝「PL」御木徳近遺徳顕彰会〟です。今のPL教団の誤った在り方を正し、本来のPL教団に創り直そうと目指す会員の方々、そして教師の先生の方々のための〝「PL」御木徳近遺徳顕彰会〟です。
二代教祖・御木徳近日知
PL教団は昭和21年9月29日、御木徳近師(1900〜1983年)によって立教されました。徳近師は、PL教団の立教者にして初代教主です。
徳近師は、「人生は芸術である。楽しかるべきである」と悟得され、PL処世訓21ヶ条を教えの基本と定めました。そして、ひとのみち教団(立教者御木師 1871〜1938年。徳近師の実父)、さらに徳光教(立教者金田徳光師 1863〜1919年。師の師)にまで遡る〝みしらせ・みおしえ〟の教義と自ら悟得された〝祖遂断〟の教義の2つの具体し的で実践的な教義によって世の人々を救うべく日本で、そして世界で布教活動をその生涯にわたって続けられたのです。
徳近師は、また徳光教、ひとのみち教団、そしてPL教団という3つの宗教を〝みしらせ・みおしえ〟の教義を通奏低音とする〝この教え〟とも呼ぶべき1つの宗教であると捉え直してもいます。なお、〝みしらせ・みおしえ〟の教義および〝〟の教義について、ここで詳論するのは控えることとします。
「日訓」より
〝すなお〟
すなおということのありがたさは、意見を出すな、ということではない。「すなおなる心境をもちつつ、意のあるところを十分表示する。」というのがただしいすなおさである。
またいわば、よき理解のもとに、すすんで協力することを第一目的の、意見開陳
(かいちん)ということである。
「PL」御木徳近遺徳顕彰会
事務局 千葉県千葉市花見川区幕張本郷1-15-15-106
(有)シー・エス・メンテ内
電話 043-350-0226 [email protected]
集会所 東京都三鷹市
「PL 処世訓第17条『中心を把握せよ』」
1.目的のある生き方を
(1)人生の目的
〝「中心を把握せよ」
このPL処世訓第 17 条は、常に自分の生活態度をこのように持していけということを 教えられたものであります。常に中心を把握した生活をせよということであります。〟 〝自己の人生に対してはっきりした目的を持たず、中心のないままに、人生芸術をして いるのであり、物事の中心が分からないままに社会生活をしているのであります。こ れはまことにあわれであり、頼りない生活というべきであります。〟
「人生は芸術である、楽しかるべきである」と説く二代教祖は、「中心」とはまず何より も人生の「目的」のことであることを強調されます。「目的を持たず、中心のないまま」 の人生芸術では楽しい人生になりません。
次に、「物事の中心が分からないまま」の社会生活に言及されているのです。
そして「目的(中心)のない人の人生芸術」と「物事の中心を理解していない人の社会 生活」は「あわれ」で「頼りない生活」になってしまうというのです。
(2)物事の中心
「物事の中心」について、二代教祖は次のように説いています。
〝本来、この世の中におけるあらゆる存在――家庭・社会・民族・国家、その他あらゆ る集団、一切の物事・事柄――には、すべて中心があるのであります。中心はそのものの生命であり、人は中心を把握し、この中心に趨向する動物として生まれているの であります。〟
趨向は「物事が、ある方向に進んでいくこと」です。あらゆるものには中心があり、人 は中心を把握し、中心を指向しようとする存在だと二代教祖は説いています。
2.中心と多様性
(1)中心と周辺
中心の反対は周辺とか枝葉末節ということになります。英語で central(セントラル、 中心の)の反対語は marginal(マージナル、周辺の)ですが、「マージナルなもの」、「マ ージナルであること」の重要性を見直してみようというのが現代的な考え方の一つの特徴 となっています。
それは近代のものの考え方が「中心」をあくまでも重要視して、いろいろな意味で「周 辺」が切り捨てられたことに対する反省でもあるのです。近代国家は中央集権的で、言葉 は標準語に統一され、地方(周辺)の方言や少数民族の言語は無視されがちになり、文化 的にも中央集権的・画一的になって、少数民族の文化は軽視・無視されるなど文化の多様 性が失われることになりがちでした。
(2)中心と多様性
「周辺」が大切なのは、「中心」が支配的なものとして厳然と存在しているからです。「中 心」が大切であることとは別の次元で「多様性」(ダイバーシティー)がもう一つの大切 な価値として強調されるようになってきています。文化の多様性、生物の「種」の多様性、 生態系の多様性……等々。多様性は人類の存続、持続可能性(サスティナビリティ)にと って必須のものです。「多様性」は「周辺」に通ずるところがあります。
大切な「中心」と「多様性」が両立する場合はよいのですが、時に両立しない局面が現 れます。そのような状況に陥ったとき、両者の「調和とバランス」を図る必要がでてきま す。要は両極端に走らないことです。
音楽でも協和音だけでなく、不協和音があってはじめてよりよいものになるのです。な ぜかというと、それによって、マンネリズムに陥って、独創性や新鮮さを失ってしまうこ とを避けることができるからです。そのような芸術をすることによって、より大きな「調 和とバランス」が生まれてくるのです。
3.「人生は芸術である」と「中心」
(1)中心を把握した芸術
私たちが「中心」とは何か? を考えるとき、それは当然に〝人生は芸術である、楽し
かるべきである〟との二代教祖の悟りの視点、視座からのものになります。
この世に現れたすべての森羅万象、つまり神業を素材として〝芸術する〟、〝自己表現す る〟ことが私たちの本性であり本質です。ですから、「中心を把握せよ」とは、私たちが 芸術するその都度その都度の「素材」の「中心を把握せよ」ということです。
(2)目的と手段
問題を解決しようとするとき、目的と手段を取り違えてはいけません。手段を目的その もののように錯覚してはならないのです。中心である目的をいつも明確に把握していなけ ればならず、手段に振り回されてはなりません。手段はあくまで目的のための手段で、目 的あっての手段です。
目的が達成されたり、目的が消滅したりすれば、そのための手段は存在理由を失い、不要になります。ところが、存在理由がなくなったにもかかわらず、手段であったにすぎな いものが、あたかも目的それ自身であるかのごとくその後も存在し続けることが世の中で は少なからずあるものです。その手段の存在、存続自体に利益を感ずる人々が出てきてい るからです。ニセモノの「中心」があたかもほんとうの「中心」のようになってしまいま す。これでは、「中心を把握せよ」の教えを守ることの意味がなくなってしまいます。
(3)戦略と戦術
戦争においては、戦略と戦術をうまく組み合わせることが勝利を得るために必須の、大 切なことです。しかし、戦略と戦術を混同してはならないのです。
戦略はその戦争の目的と密接に結びつくもので、その戦争における勝利とはそもそも何かであり、その勝利を得るための基本的な戦い方のことです。戦略なき戦争は負け戦にな らざるを得ません。
戦術はその戦争における戦略に基づいて、個別の戦闘でいかに勝利するかの作戦のこと です。
戦略と戦術の関係で重要なことは「戦略の誤りを戦術で取り戻すことはできない」とい うことです。戦略を誤った場合には、個別の戦闘でいくら勝利しても、その戦争に勝つこ とはできません。99 回勝っても1回負けたらおしまいになりかねません。逆に戦略が正 しければ、99 回敗けても1回勝てばそれまでの負けが消えてしまうことにもなるのです。 戦略が目的で戦術はあくまでそれに付随する手段です。
(4)優先順位
中心を把握することは、優先順位を間違えないことです。物事には重要なものとそれほ どでもないものがあります。必須の重要なことを差しおいて、ないよりはあった方がよい といった程度のことを優先させると、すべてがチグハグになってしまい、事が思いどおり に運ばなくなります。
優先順位を間違えない、中心を取り違えないためには射程を遠く、視点を高くすること です。目先の利害にとらわれるのではなく、大局的に物事を捉える、虫の眼だけでなく鳥 の眼をも持って物事を凝視するのです。
4.感動の中心
(1)短歌とPLの教え
〝短歌が分からないとこの教えは分からない〟と二代教祖はよく言われたものです。初 代教祖以来の「この教え」の文化であり伝統でもあるのです。
〝短歌では一首一感と申します。短歌を作る時は、まず感動の中心を把握して、その中心をクローズアップし、その他のことはあまり言わないようにする――というのが、 作歌技法の一つに挙げられております。
わずか三十一文字で歌を作るのですから、あれもいい、これもいいでは、かえって中
心がぼやけて、よい歌にはならないのです。いろいろ言いたいことがあっても、でき
るだけ省略するのです。なるべく道具立ては少ない方が、中心を中心たらしめること
になります。
吾はもや 安見児得たり 皆人の 得がてにすとふ 安見児得たり
これは万葉集巻二にでてくる藤原鎌足の有名な歌であります。当時の宮中に仕えてい
た安見児という女性を妻にすることのできた喜びを歌にしたものです。安見児という
女官はずいぶん綺麗な人だったのでしょう。当時の青年たちの誰もが求婚したのにか
かわらず、誰一人として彼女を得ることができなかったという、その安見児を自分は
妻にすることができたという歌です。その鎌足の喜びが三十一文字の歌の中にあふれ
ているような感じが致します。
「吾はもや 安見児得たり 皆人の 得がてにすとふ 安見児得たり」と歌って、安見
児得たりを二度繰り返しております。うれしいというような言葉はありませんが、はっ きり鎌足のうれしさが感じられます。それは安見児を得たという感動の中心をはっきり 把握して歌っているからです。中心を把握した歌はたいてい良い歌になるのです。〟 短歌を作り続けることにより、感動の中心を把握することに習熟するならば、人生すべ てについてその中心を把握することができ、的確に行動できるに違いないのです。 〝短歌が分からないとこの教えは分からない〟 とは、このような意味なのです。
(2)短歌から現代自由詩(「現代詩」)へ
二代教祖は 1950(昭和 25)年頃から、短歌とともに現代詩を始められました。「現代詩」 はイメージの構成によることから、イメージの造型である芸術を身に付けるには短歌より もふさわしいと思われたのです。私は二代教祖から短歌ばかりでなく現代詩を極めるよう 指導されました。
それが『詩芸術』の発刊となり、『日本近代詩のリズム』の論文となりました。二代教 祖から「詩のリズム」を研究し、文学博士を取得するよう言われ、着手したのですが、そ れが実現したのは、二代教祖が亡くなられた三年後のことでした。
(3)短歌的発想
二代教祖は立教初期「客観の境地を把握するために短歌の勉強をする必要がある」と、 幹部会の最後には必ず歌会を開いて指導していました。1951(昭和 26)年頃には窪田空 穂先生(1877 ~ 1967)にお願いして『短歌芸術』の第一と第二の本欄の選をしていただいたり、時には幹部会に来ていただいて短歌に関する講義をしていただきました。 私は短歌について二代教祖と空穂先生からご指導いただけたことを心から感謝申し上げ ています。
短歌を作るとき心するよう言われたことは「対象をよく凝視せよ」ということです。対 象に心を入れてよく凝視し、自分の感じた思いを短歌の形式である「5、7、5、7、7」 に言葉を入れて表現するのです。
短歌は「一首一感」です。一首でいいつくせないときは何首も作ることになります。
感動の中心を把握するのに、短歌は「対象に心を入れる」というか、より直接的な手法 です。対して、「現代詩」は「心に対象を入れる」、より間接的な手法と私は捉えています。 「一般的に、対象に心を入れる」直接的な手法を私は短歌的発想と呼びたいと思います。
そして「心に対象を入れる」間接的な手法を詩的発想と呼んでいます。
短歌的発想で物事に対していますと、対象につきすぎて周辺を見失うことにもなりかね ません。そのようにならないための目配りも日常生活では必要です。
(4)詩的発想
二代教祖が「現代詩」に特別の関心を寄せられるようになったのは、1950(昭和 25) 年頃からでした。毎月の幹部会にときに詩人の長田恒雄先生(1902 ~ 1977)を招かれ、「現 代詩」の講義をしていただくようになりました。
長田先生から「現代詩」について「詩はイメージの構成による美学である」「詩の場合 は言葉自体が詩である」「言葉の歩行であってはならない、詩は言葉の舞踏である」…… 等々、講義をいただき二代教祖は「イメージの造型」ということを改めて深く認識された のです。
「現代詩」をつくる場合は、「心に対象を入れる」のです。対象を大枠で捉えて心に入れ、 よく凝視し、中心を捉えてそれをいったんバラバラにして、自由にイメージで組み立て構 成します。定まった形式はないので自由にリズミカルに構成し、一篇の詩とします。対象 を入れることになる人の「心」は大きなものですから、イメージはいくらでも広がり、そ の対象をイメージに沿って自由に組み立て構成する、それがとても楽しいのです。出来上 がった詩は声に出して何度でも読み返す必要があります。その間にいろいろ気付くことも あります。これが詩的発想です。
詩的発想で物事に対しますと、対象を大きく捉えることができますので、目先のことば かりでなく、全体を見わたすことができるようになり、何を先にやるべきかも見えてくる ものです。スケールが大きくなるといってもよいかと思います。
(5)ピカソと窪田空穂先生
二代教祖は絵画においてもピカソ展とか日展など専門芸術鑑賞のため美術展によく行か れました。
「日展は数が多いのとマンネリズムの作品が多く、丁寧に観る気がしなかった」と時に 感想をもらしていました。
窪田空穂先生は「ピカソは多くの人の持っているものを一人で表現し、日展は一人か二人で表現すれば足 りるところを多くの人が同じような表現をしている」と言っておられたそうです。二代教 祖は「さすがに適評である」と言われていました。
ピカソは対象を大枠で捉えて心の中に入れ、イメージで組み立て一枚の絵画として構成 しています。
スペイン、マドリードのプラド美術館でピカソの『ゲルニカ』(1937 年作)を観まし た時は本当に圧倒されました。大枠で捉えられた戦争の悲劇、戦争に対する怒りが大画面 に展開され、観る人を圧倒するのです。
これこそ中心を把握した見事なイメージの造型と申せましょう。
※文中〝 〟内は二代教祖のお言葉です
次回、ひもろぎ勉強会
令和5年11月 9日(木) ひもろぎ勉強会
東京都内
令和5年12月14日(木) ひもろぎ勉強会
東京都内
みおしえ願い・解説の受付
みおしえ願いをお受けになりたい方は、事務局 阪野幸夫まで
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掲示板
ひもろぎ勉強会
- 令和5年10月12日東京地区
- 令和5年11月 9日東京地区
- 令和5年12月14日東京地区
- 令和5年12月16日大阪地区
「会の理念」
当会は、「人生は芸術である」と悟得し、ピーエル教団(現パーフェクト・リバティー教団)を設立した初代教主御木徳近師の事跡と遺徳を顕彰することを目的とし、その目 的を達成するために、御木徳近師立教の本義に基づくPLの教え「PL処世訓21ヶ条」をゆがめることなく護るための方針を示し、行事・事業を推進する。